東京地方裁判所 事件番号不詳
裁判所所見
一 序――問題点の概要
二 個別事案についての和解勧告
三 いわゆる投薬証明書のないスモン患者の取扱い
四 結語
一 序
当裁判所は、昭和五二年一〇月二九日に初めて三五名の原告患者について訴訟上の和解を成立させて以来、多数の和解期日を実施してきました。ところで、本日の和解期日において、特にこの法廷に東京スモン訴訟の原・被告のすべての当事者の参集を求めましたのは、ほかでもありません。当裁判所が二年以上にもわたりすすめてきました「和解」方式にようやく一つの転機が訪れつつあり、その間に浮かび上ってきた問題について、この辺りで当裁判所の一定の所見を述べ、すべての当事者に対して若干の勧告をすることが、公正な立場でこの「和解」方式による解決を一層押し進める上で必要であると考えたからであります。
取り上げる問題点の一つは、各患者ごとのいわば個別事案について、当裁判所の委嘱する鑑定人団の共同鑑定によりスモンであるとの鑑定結果報告が得られた後、裁判所のあっせんのもとで、当事者双方の意見を徴しながら、裁判所の勧告により順次和解が成立して行く一方、いわゆる薬物関連性がない――すなわち、当該相手方たる被告製薬会社の製品であるキノホルム剤が当該スモンの発症・増悪又は固定した症状の原因をなしていることの証明がない、当該被告製薬会社の製品のみが原因キノホルム剤ではない等――等の理由による被告製薬会社側からの異議等のため、和解が成立しないままになっている事例が少なからず沈澱してきていることであります。
もう一つは、いわゆる「投薬証明書のないスモン患者」の問題で、これに対する被告国や同製薬会社の和解、和解金支払の責任分担等について論議があるものの処理についてであります。これは、スモンでありながら、立証に努力をしたにもかかわらず、その原因キノホルム剤がいずれの製薬会社の製品であるのかを明らかにする資料が全く得られない場合、換言すれば、服用キノホルム剤が全く不特定であるというべき場合をさすものと理解されるのですが、これは理屈の上で考えられていたばかりでなく、当裁判所に係属する事案の中にも、今後の立証のいかんによってはこれに該当することになるのではないかと思われるものが少数ながら出てきました。また、原告側からこの種事案であると主張されている事案で、鑑定を待っているものも若干あります。この問題は、広い意味で前述の薬物関連性の問題の一環として、この際その処理指針について一定の見解を明らかにしておくのが、この種事案の手続を円滑にし、当事者双方に対しいらざる不安を抱かせないことに寄与するものと考えられるのであります。
本日は、以上の二点をここで取り上げることとします。
二 個別事案についての和解勧告
まず第一は、鑑定結果報告後和解未成立の個別事案についてであります。
このスモン訴訟を和解によって解決して行こうとする基本方針自体は、現段階では、原・被告、各派、各社の一致した見解であると認識しております。
しかるに、スモンであることについての鑑定結果報告が得られた個別事例の中から和解が順次成立して行くうちに、少なくない事例がいわゆる薬物関連性の問題等により、和解が成立するに至らず、沈澱したままになっているのでありまして、これは、当該のスモン患者にとっていたく不安を抱かせることになると思われるばかりでなく、このスモン訴訟を和解によって解決して行こうとする基本的方針自体を危くするものであろうと思うのであります。
もとより、原告側が個別の各事案ごとに提出する資料の厚みにはさまざまのものがあり、鑑定においてスモンである旨の結果が得られたもののすべてが直ちに和解に熟しているともいい難い面があります。しかし、原・被告双方の意見を徴し、いわゆる加算要素の点も含めて当裁判所が必要と認めるものについて原告側に追加資料を提出させる等必要な調整を加えた上で、証拠資料を十分に検討し、当裁判所において相当と認めるもの、換言すれば和解に熟するに至ったものが、現在、少なからずあるのでありまして、この際当裁判所としては、所要のまとめをした上で、改めて強く和解を勧告することとしました。これは、いわゆる加算要素について資料上からは無理と認められる主張が原告側にあり、未だ和解成立に至っていないものについても同様であります。
すなわち、既に鑑定を了した事案のうち、当裁判所として現段階で和解に熟するに至ったと思料するものについて、その認定した加算要素等に基づき和解金額を算出した上、原告一覧表を調整し、ここで改めて原・被告に対し、和解を成立させるよう強く勧告するものであります。この個別事案についての和解勧告は、従来、各関係人の間で「裁定」といわれていたものであると理解されて結構であります。その対象者等は、これからお渡しする原告一覧表のとおりであります。
しかし、鑑定を了してからある程度の日時を経過した事案の中でも、裁判所の眼で見て今一つ資料が不足していると認められる事例については、今回裁定を留保しております。それらについては、なお検討を続けることとしますが、おおむね原告側の資料の追加が必要であると考えられます。
また、当裁判所は、鑑定を了した事案であっても、既に提出された資料の状況に応じ、別途追加資料(書証)の提出を求めたりするのみならず、なんらかのその余の証拠調べをしたりすることがあります。もとより、これらは、現段階では、和解の一層の推進のために行うのであって、当事者ことに原告側は迅速かつ円滑に当裁判所の訴訟指揮に従って立証活動を行う必要がありましょう。それが、当該事案の解決、すなわち当該スモン患者の和解への近道であるのみならず、他の事案の早期和解成立に寄与するところもまた大であることに思いを至すべきであろうと思うのであります。
三 いわゆる投薬証明書のないスモン患者の取扱い
第二に、いわゆる「投薬証明書のないスモン患者」の処理に関する点であります。
スモン、すなわちキノホルム中毒被害についての損害賠償を裁判所における訴訟手続により請求するものである以上、もとより、まず、当該対象者がスモンであること――すなわち、キノホルム剤を服用し、その結果中毒としての一定の神経障害疾患に罹患した者であること――が、当該手続の過程で鑑定及びその他の証拠方法により立証され、裁判所の心証に形成されるのでなければなりません。言い換えれば、訴訟上は、右の事項が立証された者がスモン患者として和解勧告の対象となるわけで、当裁判所は、現にその旨の立場で和解を実践してきた次第です。
そして、スモン被害に係る右の損害賠償金は、第一義的には、当該スモン患者が服用したキノホルム剤を製造(又は輸入。以下略)・販売した被告製薬会社が負担し、支払うべきものであり、従来の和解においても、個々の事例ごとに、いわゆる医師の投薬証明書等により、被告製薬会社のうちいずれの社の製品たるキノホルム剤が服用されたのかを、薬剤名を挙げた資料により確かめながら、その支払負担者たる製薬会社を定め、その支払を勧告してきました。もっとも、キノホルム剤の製造承認等について責任を問われた被告国も和解に当ってはその一部(和解一時金のうち三分の一の金額)を負担していること、及び当裁判所が昭和五三年八月三日の判決において被告国が右支払の責任を負うとしても右割合(三分の一)の限度にとどまるものである旨を判示していることは、各位の御承知のとおりであります。
しかし、スモンであることが立証されながら、医療機関における記録の廃棄等により、相当と認められる立証手続を尽くしてもその服用したキノホルム剤の薬剤名がわからず、いずれの製薬会社の製品であるかを全く特定することができない場合、すなわち「キノホルム剤不特定スモン患者」である場合もあるわけであります。そこで、この点について考えてみますに、まず、わが国で多発したスモンの原因たるキノホルム剤は、被告チバ・武田社の製造・販売に係るそれか、被告田辺社の製造・販売に係るそれ(同社の製造・販売に係るキノホルム原末を購入して、他の製薬会社が最終製品の成分にしたものを含む。)かのいずれかであって、実際問題として、わが国において、右の二つの系統以外の製品がそのスモンの発生原因となった場合はあり得ないと推認されるところであります。すなわち、当該キノホルム剤を製造・販売した製薬会社がわからないといっても、すべてそれがチバ・武田社であるか、田辺社であるか、あるいはまたその両者にまたがるかが不分明であるというにすぎないわけであります。なお、ちなみに、当裁判所に係属したスモン訴訟の事例を見ても、その提訴事例(ほぼ全国にまたがる二千数百例)において服用キノホルム剤であると主張されている薬剤名を見ますに、比較的初期の頃から今日までを通じて、チバ・武田社の製品を原因キノホルム剤として挙げる事例と田辺社のそれを挙げる事例とは、全体の一割を超えるいわゆる共用事案をも含めると、それぞれが半数を超えているのであり、また、現在までの判決及び和解成立事例(千数百例)を見ても、いわゆる共用事案をも含めると、チバ・武田社が支払負担者として加わっている事例と田辺社が支払負担者として加わっている事例とは、それぞれが半数を超えているのであります。
そこで、この種の服用キノホルム剤を全く特定することができないスモン患者に対する和解、和解金の支払負担者等について考えてみますに、まず、被告国は、その責務等に鑑み、和解一時金の三分の一の金額を支払うことを決意すべきであります。これは、前述した当裁判所の昭和五三年八月三日の判決の趣旨にも沿うものでありましょう。
さらに、被告製薬会社においても、和解を決意すべきであります。この場合、当該服用キノホルム剤のブランドを特定することができないでいる不利益を原告患者側のみが引き受け、その結果被告製薬会社側がなんらの負担もしなくてすむことになる事態は、著しく不合理であり、何人もこれを是認し難いでありましょう。そこで、前述のわが国におけるキノホルム剤の製造・販売の実情等を踏まえますと、スモン訴訟の和解においては、右のキノホルム剤不特定のスモン患者に対し支払うべき損害金のうち、前述の被告国が負担すべきもの以外は、わが国でキノホルム剤を製造・販売した前述チバ・武田社の組と田辺社とがこれを負担するのが当然であって、それを支払うべき責任があるというべきであります。わが国におけるスモンによる被害とその賠償の問題を全体として観察するならば、キノホルム剤のブランドの不特定は、要するに右の製薬三社の負担すべき内訳が不分明であることを意味するにすぎません。当裁判所としては、今後この種の事案について和解を成立せしめるについては、被告らが右の方針により和解金を分担して支払うよう調整して行く所存でありますが、被告国及び同製薬三社は右の趣旨により和解金を負担することの方針について速やかに決意するよう、強く勧告をするものであります。
もっとも、右の被告製薬三社が負担すべき和解金額のうち、さらにいくばくをチバ・武田社が分担し、いくばくを田辺社が分担するかについては、なお、多数事例を収集・分析した上で、いわば統計的に詳細を詰める必要があると考えられます。この点は、(当裁判所としても関係機関の協力を得てその確定のための努力を惜しむものではありませんが、ここでは、国の負担すべき前述の三分の一を除くその余の金額につき、チバ・武田社と田辺社とが折半して各負担する(結局、和解一時金については、国、チバ・武田社及び田辺社がそれぞれの三分の一宛を負担することになる。)というのが、この問題を処理して行く上での基本方針として最も簡明直截ではないか、という考えも一部には主張されていることを、申し添えておきたいと思います。
なお、この種事案の基本となる和解金の額等についても、今後なお検討・協議したいと考えております。
ところで、当裁判所は、キノホルム剤不特定スモン患者であると主張されている事案の処理に関し、今示した方針(被告国と同製薬三社による和解金分担)による処理に至る前提をなす問題として、この際、次の点を指摘する必要を認めるのであります。
そのうちの一つは、服用キノホルム剤のブランドのいかんは措くとしても、スモン被害の賠償を訴訟上求めるものである以上、まず対象者がスモンであること(キノホルム剤を服用して一定の神経障害(スモン症状)を生じていること)が訴訟上立証されなければならないことに関連することであります。この種事案を検討するにつれ、当該対象者がスモンであることの立証に不可欠な歴史的事実、すなわち当時キノホルム剤を服用したことや、それに伴い有意の期間内に当該神経症状が発現し又は増悪したことを申述する関係医療機関の証明書等の客観的資料がそれ自体欠缺していたり、又は不十分であり、そのことの結果として、服用したキノホルム剤のブランドが何であったかを示す資料もまた欠缺したり、不十分であったりすることになる例を見受けるのであります。したがって、当裁判所としては、服用キノホルム剤のブランドのいかんはしばらく措くとしても、右の薬剤服用、発病といった医療歴、病歴に関し資料の補完を必要と認める場合には、鑑定人に資料を送付するに当り釈明準備命令を発する等により、まず原告側にこの点を補充する資料の提出を命じ、あるいは一定の証拠調べを行うことがあります。何を行うかは、各別の事案の資料の状況に応じてこれを示すことになりますが、当事者ことに原告側は、当裁判所の訴訟指揮に従ってその都度敏速に立証行為を行うよう勧告するものであります。といいますのも、これは、この種の事案を迅速かつ円滑に解決するための不可欠の前提だからであります。
次に、個別事案ごとに当該スモンの発症・増悪や固定した症状の原因たる服用キノホルム剤の製造・販売会社がいずれであったかを立証する努力も、また十分に払われている必要があります。この点について当裁判所が相当と認める立証方法が尽くされたにもかかわらず、なお服用キノホルム剤の製造・販売会社を全く特定することができない場合にかぎり、キノホルム剤不特定スモン患者として前述の方針による被告国及び同製薬三社の四者の負担によって和解を勧告することができるのでありまして、安易にこの方法による解決を図ろうとすることは、この方法が最後の手段である性格に反することになり、諸般のバランスを失することになると考えられます。したがって、この点の処理についても、場合により証拠調べを行うことがありますが、その際は、原・被告のいずれたるとを問わず、当事者はその点の当裁判所の訴訟指揮に従って敏速に行動されるよう強く要請しておきます。
さらに、この問題について、もう一つのことを付け加えておきたいと思います。それは、今述べましたように、キノホルム剤不特定スモン患者とは、その服用キノホルム剤が発症の前後を通じ全く特定されない、いわば典型的な場合のそれとして構成されております。しかし、現実には、各位もお気付きのように、服用キノホルム剤の一部は特定することができるが一部はこれを明らかにすることができない事案が、少なからずあるわけであります。例えば、再燃・増悪時については医療機関の投薬証明書が得られたが、発症時については手段を尽くしても医療機関の投薬証明書はついに得られなかった場合等に起こり得ます。このような場合については、かえって処理指針を直截に樹立するわけにはいかないものがありますが、当裁判所は、個別の事案ごとに妥当な結論が得られるように調整に努力してきました。今後とも、具体例を積み重ねながら、この種キノホルム剤一部不特定事案の処理が服用キノホルム剤が全く特定されない事案よりも遅れをとることがないように配慮して行きたいと考えております。
四 結語
以上、従来から、当裁判所がとってきた訴訟上の和解をさらに一層押し進めるという見地から、既に多くの個別事案を処理してきた経験を踏まえ、現に当裁判所に係属する多くの事案を検討した上で、現段階で必要と認める事柄について当裁判所の見解を述べました。
各当事者は、是非鋭意検討の上、当裁判所の意のあるところを理解されるよう希望しますとともに、本日これから各当事者にお渡しする原告一覧表についての和解勧告に対しては、その回答を来る三月二一日(金)までに一括して当裁判所に回答していただきたい。
以上をもって、本日の和解期日を閉じることといたします。
東京地方裁判所民事第三四部